寝床

アニメや漫画、雑記

GLF27(レヴュースタァシアター2)なな真矢合同『immortelle』寄稿 雑記

 2019年6月22日(土)開催、GirlsLoveFestival27、レヴュースタァシアター2にて頒布された、なな真矢合同『immoetelle』に寄稿させて頂いた。

 スタァライトのアニメ7話で衝撃を受けてから、時に二次創作を書き、思考に耽っていたところへ、なな真矢合同の参加者募集をTwitterで発見した。

 参加しようかどうか迷っていた。即決は、できなかった。理由はいくつかあった。

 まず、私はアニメスタァライトに対し、総合的に見てあまり良い感想を抱いていない。しかしそれはあくまでクオリティの問題であり、私が衝撃を受けた7話の描写、特に大場ななというキャラクターの掘り下げ、演技、演出、テーマが、とにかく気に入っていた。そこであった、主席である天堂真矢との会話は、ななのキャラクターを、特に再演を強く望んで未来へ進みたくないと願うほど臆病であるという面を掘り下げ、同時に真矢の舞台への一途さを表していた。アニメ自体に複雑な感情は抱いているものの、7話は私にとって特別な存在であるし、とにかくなな真矢が好きだ。そして舞台や漫画も楽しんでいて、スタァライトを満喫している中で、書きたい、という気持ちが沸々と沸き上がった。

 そこでもう一つの懸念材料があった。どういう話を寄稿しよう、というアプローチだった。私は7話にて、ななは純那や華恋との絡みで、二人とは全く違う景色をみているのだ、と切なくなった。二人がしゃべっている間、ななは途中で淡い空を見上げている。まるで話の筋はもう読めたと言わんばかりに。真矢が真摯にぶつけた、ななの聡明さ、卓越した才能が垣間見えた。同時に真矢には見えていないものも見えた気がした。それはななの抱えていた孤独だった。これは後の9話の文脈で語られている。オーバーチュアのなな回でもそうだったが、ななは寂しがっている、と私は解釈している。オーバーチュアで描かれていた純那との関係は私は不気味に思えた。彼女から巧みに逃げ道をふさいで、私は今孤独なんだよ? だから癒してよ、ね? と脅しているようだったからだ。9話で純那が取ったななへの献身的とも思える行動は、まさに私がオーバーチュアを読み感じたものと似ていた。

 なな真矢を考えていくのと並行して、考えていた。純那のことについて。純那のとりまく環境について。八歳で舞台少女を志した意味について。ななとルームメイトである意味について。さまざまな可能性について。

 ……なな真矢合同というからには、当然、なな真矢「を」書かれる執筆者のかたが多いだろう。そう考えた。視点が「なな」だったり、「真矢」だったり、ということだ。当然だと思う。カップリング前提であること、そして成人指定ということも踏まえれば。

 しかし、募集要項が、比較的自由な形式でも構わない、最終的になな真矢であれば構わない、という旨を見て、私は一つ挑戦してみたいと思った。

 純那視点からなな真矢を書いてみよう、と。

 参加表明をする前に、主催である黒い執行者様へ連絡を取り、承諾をいただいてから、執筆にとりかかった。執筆にはいかんせん、苦労した。最初の案では、純那、なな、真矢のほかに、ひかりも登場する予定で、彼女たちは30歳を過ぎている設定で話を進める予定だった。しかし話に終着点が見えなくなってしまい、完成原稿の原型、第一稿の形に落ち着いた。

 ただ、この第一稿には難点があった。純那視点ということに引っ張られすぎて、肝心要のなな真矢要素が薄くなってしまっていた。主催様にご指摘を受けて、修正を行った。早く原稿を提出しようと、焦る気持ちからっこうなったかもしれないと、改めて振り返る。これでは何のためになな真矢合同に参加したのかわからない。このご指摘はとてもとてもありがたかった。

 そして無事に完成原稿を提出。サンプルがTwitterやpixivに出た時は、感極まった。自分の名前がそこにある。マジかよ。なんかすごいね。

 合同誌に参加するのは初めてではない。だが、このドキドキはいつまでたっても慣れないのかな、この感覚が慣れたらやだな、とぜいたくにも思う。

 既に感想もいただいている。書いてよかった、と実感している


 イベントでは完売したとのことで、なによりだった。

 なんでも海外のかたが多く買ってくださっていたと小耳にはさんでいる。表紙を描かれている4zmさんが海外のSNSで宣伝してくださった、とも聞いた。やはり宣伝は大切なのだな。と身に染みている。


 私のところにも献本が届き、他の作者のかたのなな真矢合同を読ませていただいた。

 通販が近々開始するとのことなので、深くは触れないでおこうと思う。興味のある方は、ぜひ、お手に取っていただきたいと思う。

 しかし、前々から興味深いと思っていたのは、なな真矢は、性に関する題材が非常に多いということだ。理由はいくつか考えられるけれど、一番強く垣間見えるのは、地下オーディションにて決められる強者と弱者の決定が、7話によって覆された、つまり真矢の不動のトップがななによって覆されていることが判明したこと、だろうか。もちろん、この事実から、誰を焦点に当てるかによって、解釈はまた違ってくるし、論理の結び方も様々だろう。

 一つの結びとして、なな真矢合同は性の多様性でもあった、ということにもなるだろう。性が先立つのではなく、なな真矢が性の多様性を帯びていた。真矢からクロディーヌ、ななから純那など、多様なつながりがスタァライトのメインキャラクターの中でも見える中で、特に際立って。その中で、「純那視点でのなな真矢」という私にとって挑戦的ななな真矢が書けたこと、またそれを快諾していただいた主催様に、この場でお礼を申し上げます。

 


刀使ノ巫女オンリー 雑記

2019/3/3(日)に刀使ノ巫女オンリーイベント「御前試合第一回戦 構え、写シ、始め!」が行われた。
私は『岩倉早苗合同』に一本、『長文おじさん』に二本、文章を寄稿した。文章といっても、二次創作というのではなく、あるアプローチから考察を試みるというものである。

オンリーイベントがどういう盛況になるのか、まったく読めていなかった。私は不参加であったのだが、当日、大勢の人が一般参加し、開始一時間で多くのサークルの本が完売状態にあったという。もっと早い時間もあったという。

現在は通販という便利なシステムがあって、イベントに参加しなくても本を手にすることができる。だが、現地で手に取れる実感というのも、得難いものだ。今回参加できなかったかたは、是非何らかのイベントに参加する機会を是非とも設けてみたらいかがと、提案してみる。

というのも、『岩倉早苗合同』『長文おじさん合同』に関してであるが、再販はないとのアナウンスがある。本媒体では、もう回ることはない。
同人誌は、個人負担で印刷費や時間を捻出する。思っていたより作業は大変であるということは、前回、BDP5thで、微力ながら活動に尽力した際、痛感したことである。
その際に参考となり得る情報は、どれだけ需要があるか?ということだ。在庫を抱えてしまっては荷物になってしまうし、売れ過ぎると、欲しかった人に届かない。だから、アンケートやいいね、リツイート数を参考に、需要調査をしている。
しかし、中には恥ずかしくて反応しづらい……黙って気配を消して買いたい……という人もいるだろう。もちろん、そのことは、こちらは、少なくとも私は、承知のうえである。かくいう私もついつい黙ってかってしまうクチだ。しかしその際、目当ての同人誌が売り切れてても、何も言わない。タイミングが合わなかったこと、欲しいと言えなかったこと、噛み合わなかったのだ、と納得する。

『岩倉早苗合同』はまんま岩倉早苗にかんするキャラクターに関する合同誌だが、こと『長文おじさん合同』でやりたかったこと、それは、とにかく「自分が思ったことを文章にして本にするよろこびを得ること」ということである。だから「長文」という括りは、人によってまちまちだし、ssやら論文調やら手紙の大捏造やらエモ散らかしやら、なんでもありなのである。形にすることが大切なのである。

ああ、ここがよかったな、と思うことは、実は誰でも出来ている。あともう一歩、踏み出せるかどうか。そこで本が出るかどうかのボーダーラインになる。

本は、手元に残る。それはかけがえのない瞬間である。今、多くのアニメが消えたり増えたり、忘れ去られたりしている中で、刀使ノ巫女というアニメがこんなに多くの人に愛されているのだと、アニメを知らない人が見たらどう感じるのだろう?想像するだけで、私は寄稿してよかったと、感無量になるのである。
もしも運悪く今回頒布された本が手に入らなかったら、刀使ノ巫女好きで繋がってみて、議論をしていただくのも大いにありかもしれない。

最後に、レイアウトや組版、入稿作業全般は、主催のしめじさんが全て行ってくださった。校正作業は様々なかたに協力していただいた。感謝してもしきれない。

自分の中にある思いを、文章にすることは、もしかしたらハードルが高いと思われるかもしれないが、それを続けることが大切だと実感した日であった。



余談だが、早速『月刊長文おじさん』という企画に参加中である。改めて刀使ノ巫女を見返したり、通販で届いた本を読んでいるが、面白さを噛み締めても噛み締めても、まだまだまだまだ自分の中から枯渇しないほどの情熱が湧き上がるのが、このコンテンツの面白さだと実感している。

刀使ノ巫女の「語る視線」としての折神朱音(刀使ノ巫女アドベントカレンダー12/21分)

この記事はアドベントカレンダーhttps://adventar.org/calendars/3247)12/21(金)を担当する熟睡さんの提供でお送りします。みにとじ楽しみです。


折神朱音。とじらじ!某回にて「『刀使ノ巫女』を友人らと一緒に一気見したら、朱音を好きになった人がいた」という旨のメールが読まれており、アドベントカレンダーでスケジュールを組んだ私としては、タイムリーだと思いながら、これを書いている。確かにアニメを見返せば見返すほど、朱音様はかわいらしく、尚且つ可憐な雰囲気を漂わせ、そしてお上品さを決して崩さない魅力いっぱいの女性である。

ただ、ここでその魅力を語るより、是非とももう一度、アニメをみて、朱音様を直接ご覧いただいた方がいいだろう。私は代わりに、朱音が『刀使ノ巫女』というアニメーション作品においてどういう役割を果たしているのか、そしてそこから何が言えるのかを書くことに尽力しよう。


朱音は、1話〜12話まで、刀使の総元とも呼べる折神家の御当主様、折神紫の実の妹でありながら、その反乱分子である舞草を導く立場として活躍する。紫が御当主様の座から外れた13話以降は、代わりに刀使を統べる立場を担う。20年前、相模湾岸大災厄当時はテントにて、救護班と思われる部隊と行動を共にし、救助活動に勤しんでいる描写が、8話にて描かれる。朱音は身体が弱く、刀使としての才能はあったものの、御刀は振るえる状態ではなかったのであろう。折神という名と、当主になるさだめを背負った姉と、刀使には向いていない身体を持った彼女の心中は、計り知れない。姉の偉大な背中を、見ていることしかできないのだから。


この物語の主役は刀使たちだ。可奈美たちメイン6人をはじめ、紫、親衛隊、そして学長たちも、かつてそうだった。民衆は、刀使によって守られているであろう日常こそあるのだろうと推測はできるものの、その域を脱することはできない。この曖昧さが残ることに『刀使ノ巫女』というアニメーションのすぐれた点を見いだせるともいえるだろう。焦点が刀使に絞られているのだ。

言い換えてしまうと、それ以外は脇役として機能することになる、とも言えよう。朱音は生まれながらにして、『刀使ノ巫女』という物語には選ばれなかったのである。

ところが、彼女は『刀使ノ巫女』を語る上で、非常に大きな役割を果たしている。それは、朱音は「語る視線」を持っている、ということだ。『刀使ノ巫女』という一つのアニメーション作品物語を俯瞰して語ることができる、その視点だ。


朱音の担当声優である川澄綾子さんは、1話冒頭、ナレーションも担当している。荒魂と刀使の歴史を語る、語り部として。役柄はナレーションとして記載されており、朱音としてではない。しかし、川澄綾子さんが担当されていることに、前述のような「語る視線」の意味を見出すことで、より強固な楽しみを得られるはずだ。なお、ナレーションは総集編でも出てくるが、役割は変わらないであろう。

また、朱音は刀使ではないが、刀使に近い場所で生きてきた。この役割と同じように当てはまるのは、フリードマンであろう。フリードマンは、相模湾岸大災厄当時、若い研究者だったらしいことが伺える。

朱音は、とくに10話にて、メディアを通し、真実を伝えようとする。フリードマンは、9話をはじめとして、折神家の手によってねじ曲げられた嘘を暴き、真実を実際に伝える。二人は刀使を導く大人として、立派に物語の役割を果たしている。

また9話で朱音は、真実を教えられた可奈美と姫和に声をかけ、美奈都と篝の在り方が今の二人をうみ、そしてそれは幸せなことではないだろうかと、語る。

これは24話にて、美奈都と篝、可奈美と姫和が言っていたこと、そのままである。

朱音はまるで刀使たちのあるべき未来を見ているかのように、この発言をしているように思えてくる。9話、刀使たちの思いをなにより尊重すると言い、焦る姫和に困惑の表情を浮かべ、フリードマンの顔を覗き込みながらも、語りすぎることはないのだ。


物語の最後は御前試合で締めくくられる。朱音がいるのは、かつて姉がいた場所である。

新しい刀使が生まれ、荒魂を退治し、民衆を守る。振り返ってみればそんな日常のような出来事のように思えてきてしまう事柄は、『刀使ノ巫女』という物語がなければ、「語る視線」がいなければ、消失してしまうことだろう。ドラマなんていつどこに潜んでいるか分かったものではないのだ。1話で、ナレーションが語らなければ、この物語は胎動を知ることはあり得なかったし、20年前、朱音が見た光景を忘れていなかったから、美奈都が死んだ7年前に、折神家代々伝わる大荒魂討伐方法を鎮める方法を突き止められなかっただろうし、1年前に篝宛に手紙を出さなければ、姫和が紫に立ち向かうこともなかった。『刀使ノ巫女』というアニメーションの、物語の出発点は「語る視線」である朱音であるのだ。

そして朱音は、17話にて、紫、可奈美、姫和、3人の会話をこっそりと聞いて、安心したように、壁に寄りかかるのである。


余談であるが、紗南と朱音の関係は、一体なんなのだろうか。あだ名で呼び合う関係であることが、アニメで無事に暴露されているわけだが、そんな中、ある人物が横槍のように入ってくる。雪那だ。20年前は怪我をした際に肩を貸していたのは紗南だし、立場上バチることも絶えない。19話にて雪那がメディアを利用して情報操作を行なっていたが、これは10話の反復ととってもいいだろう。もっとも、伝えているのは朱音と違い、真っ赤な嘘だが。雪那は紫にぞっこんだったわけだし、朱音になんらかの感情を抱いているとみてもおかしくはなさそうだ。気にくわない二人が仲良いのが、気にくわないと推測すると……。

というわけで、雪那が嫉妬心と虚栄心のあまり、紫様の影を朱音様に求めた結果、紗南から朱音を奪おうとする、雪那→朱音←紗南(朱音様は好意に無自覚)百合を提案します。


BDP5th 雑記

 2018年10月7日(日)、横浜産貿ホール・マリネリアにて、BDP5th(BamG Dreamer's Party! 5th STAGE)に参加した。サークル参加、つまり、同人誌を発行する側としてである。
 同人誌即売会には、過去に一度だけ、知人に文フリに誘われ、行ったことはあったものの、サークル参加は初めてだ。二次創作は色々とやってきたが、本を出そうという思いは弱かった。本を出して、わざわざ会場に足を運んで、知らない人ばっかりいる空間にいるくらいなら、一人でやってたほうがましだと思っていたからだ。二次創作をするにあたって、今もそのスタンスは変わらない。けれど、変化があったのは、本にすることそのものだ。ネット媒体だと、たとえばサービスが終了してしまえば、いとも簡単に見れなくなってしまったりすることがある。文章を作家が消してしまえば、なかったことになってしまえる。これはネットに限らず、ちょっと見渡せば、あらゆるところに見られることではないだろうか。たとえばアニメでは、VHSではもうみんなアニメを再生しない。VHSをみるためには専用の機器が必要になる。DVD、BDと媒体が変遷していくが、それがいつまで持続していくかはわからない。音楽もそうだ。レコードやカセットテープは主流でなくなり、CDも形をかえて、データ販売が主になっている。アニメも音楽も文章も、誰か(複数であったり、単独であったりする違いはもちろんあるが)の記憶だ。その記憶が、時の流れによって再生できなくなってしまうという事実は、想像すると悲しい。
 本は残る。燃えたりしてしまえばそれまでだが、やっぱり残る。だから、私は、同人誌発行に前向きになっていった。そして、いずれ私は私の過去のことを忘れてしまうだろう。それを思い出す作業の一部として、本は役立つかもしれない。忘れたくなくて、残しておきたくて、踏み切ったのかもしれない。

 閑話休題、文章を書くというのは、孤独な作業である。二次創作ならば原案など、あるいは他人の案を持ってきたりはしても、文章を書くのは作家ただ一人の作業になる。
 しかし今回私が書いた同人誌は、そうではなかった。それは相互執筆という形態をとっていたからだ。
 相互執筆とは、複数の作家が集まって、原稿を回していく執筆である。私とお相手のかた、二人で行った。
 まず、この企画は、お相手のかたが、相互執筆をやりたいといっていたところに、私が乗っかったのが始まりだ。前述したように、本を出すことに前向きになった私が、ノリでのっかった。
 スケジュールを確定してしまえば途中しにかけても追い詰められて本は出来るだろう。そんな感じだった。結果的ほぼこの感覚は当たっていたような気がする。まずはアクション。
 実際にお会いして、話し合うことに。お相手のかたが同人誌発行の経験があったので、話を聞きながら、題材を固めることに。バンドリの薫と千聖、MV撮影という基盤が固まり、入稿までのスケジュールを、提示してくださる。執筆は一週間交代。費用は折半。途中、私は体調を崩し、影響してスケジュールを押したが、それでもコピー本を作る余裕も出来ていた。結果的に、内容も間延びしない結果となりよかっただろうと、終わった後に話し合っていた。
 相互執筆をするのは、アニメを作るのとよく似ているのではなかったかと、振り返ると思う。アニメは集団作業である。案があって、脚本からコンテがあがり、原画があがり、修正され、背景や3D、美術を設定、並行して音声収録や音響を調整、そしてテレビ放映。ここらへんはアニメ『SHIROBAKO』をみていただけるとわかりやすいと思うが、このスケジュールを調整する役として制作進行がいる。私達は、相互執筆を通して、お互い制作進行をしながら、それぞれの役割をしていたと思う。今に思えば大変な作業であるし、本を手にとっていただいたかたにはおわかりになるかと思うが、そういう結構嘘っぽいことをやっていると、少なくとも私は、強く意識していた。

 さて、アニメや漫画界隈における小説同人誌というのは、絵や漫画よりも売れない。しかし、バンドリは小説同人誌を出すサークルが多いらしく、みると100ページを超える本を出したり何冊も刊行しているサークルもたくさんある。ちょっと前に聞いたのは、今はパソコンを持っていない環境でもスマホがあるので、小説に逆になじみが出てきている。気軽にみられるのは絵だが気軽に書けるのは小説だ。だから小説書く人が多くなったのではないかと。他にももっとたくさんの要因が重なるのだろう。バンドリはテキストゲーだとか。
 ありがたい事に、当日、作った本は、完売した。早い段階で捌けてしまい、どちらも驚いていた。
 部数の件は本当に悩みの種で、どのくらい売れるかは正直読めない。売れすぎても楽しみにしてもらえてくれた人の手に渡らないし(そもそも私が本にしたい理由が記憶を残したいだから、欲しい人のもとに渡らないと私の意味がなくなってしまう、気がすまない)、かといって刷りすぎると在庫を抱えて大変になる。とりあえず売れ残りは避けよう、そしてあまったら通販にまわそう、と思っていたら、完売。マジか。
 これにはさまざまな要因が重なっていたと思う。ツイッターリツイートをバンバンしたこと。そして本の表紙が非常に印象的だったこと(具体的には、アニメのようなデフォルメではなくリアルタッチで、ジャンルから外れた魅力を与える)。できるだけ文章もみやすいよう考えてみた。その結果もあるのかなと思う。でもやっぱり一番は、お相手のかたが本を出すという吸引力かもしれない。ただこればっかりは、何が大きい要因かなどは、予測するだけ徒労に終わるので、区切る。

 本が手元から離れていく瞬間というのは不思議なもので、いずれ捨てられるかも燃える未来かもわからないが、それでも読まれてくれたらいいなと同時に思う。私のそばには今、昔買ったアイドルマスターの同人誌がある。本をだいぶ整理しはじめたが、本にするのはマジ大事なんだな、と実感している。

 会場内でも、隣のスペースのかたも気軽に話しかけてくださって、心強かったのを覚えている。代わりに店番もした時間もちょっとだけだがあった。臨機応変も大事である。即売会の醍醐味なのだなと楽しさを味わった。昔ならテンパってただろうにな、と承諾したのを思い出せる。
 また、スペースにお越しいただき、挨拶してくださったかたもいらっしゃった。本を交換したり、お話したり、また私がスペースに行って、話しができたり。貴重な体験である。

 色々なスペースに行き、そして私も色々な本を買った。私はこの本をたくさん読んで、そして保存し、記憶にとどめることだろう。

 二次創作やここに雑記などを書くことは、趣味だ。私の好きでやっていることだ。そう自信を持ってきっぱり言うまでには一応紆余曲折あったものの、そういう気持ちでいる。だが、私の文章が好きであるという人は、結構いてくれるらしいというのを、初めて実感したような気がする。言われたことはあるし、そうなのかとは思っていたものの、いや、びっくりした。マジ。

 これを機に自分で本を発行する機会を増やしたり、積極的に企画に参加してみようと思っている。初めて作ったのがこの本でよかったと、改めて実感している。感謝してもしきれない気持ちでいっぱいである。

百合的に好きな2016年秋OPED(ユーフォ2ED、フリフラOP)


歌:北宇治カルテット/作詞・作曲:ZAQ/編曲:高田暁
絵コンテ・演出:藤田春香/作画監督:西屋大志/楽器作監:高橋博行


最初、大きな着ぐるみの楽器くんはてっきりユーフォくんだと思ってたのですが、よくみたらチューバくんでした。
なんでチューバくんなんだろう、ユーフォくんじゃないのかな、と思ってたのですが。
AメロBメロで、この4人はお菓子がたくさんあるにもかかわらず、お菓子に対してさほど興味を示さないというか、微妙な顔ばかりしているのが印象的です。服装や仕草、立ち位置からみるとこれはチューバくんが主催したパーティのようなものなのでしょうか。たとえば久美子はシャボン玉飛ばして遊んでるし(膝立ててるし行儀悪い)、f:id:train49:20161017024845p:plain
サファイアちゃんはマカロンでドミノ倒しを始める。

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葉月でさえ花を弄るし、

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麗奈はお茶を飲んでなんか怪訝そうな顔をチューバくんに向けてドキッとさせる。困惑気味なチューバくん。

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どうやらオーダーとは違うらしい。久美子はお菓子を否定する。私たちが求めてるのはこれじゃないんだけど。

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チューバくんの魔法によってマウスピース(サファイアちゃんの場合は弓)に変わるとみんなこれだよこれ!!私たちが欲しかったのこれなの!!!と歓喜し一斉に外へ飛び出します。

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たぶん楽器との運命の出会いを示唆するためにチューバくんだったのかな、と。1期の頃、あすか先輩にどやされて久美子がチューバくんになって葉月をチューバに引き入れようとしたことがあった。で、チューバとマウスピースがはまることで葉月はチューバを選ぶわけだけど。あれこそ(仕組まれてますが葉月からしてみれば)運命の出会いって呼ぶにふさわしいものはないですよね。麗奈にとってのトランペットもサファイアちゃんにとってのコントラバスにも運命がある。

で、問題の久美子。草原を必死に必死に走って行って、ふとした拍子に転ぶ。顔を上げてみると、そこには光り輝くユーフォニアムがあり、

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大切にほんとうに嬉しそうにぎゅっと抱きしめる久美子。

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このカット。
このあとすぐ麗奈が久美子に手を差し伸べるので一瞬なのですが、完全に久美子とユーフォニアムの百合。
ユーフォニアム繋がりで考えると、そもそも久美子にユーフォニアムの存在を伝えたのは姉の麻美子なんですよね。ユーフォニアムを吹くことにあたって、麻美子の存在っていうのは久美子にとって非常に大きい。だからなのか、たびたび久美子はあんなに嫌そうな顔したりドライなのにときどき麻美子のことを思い出したり、麻美子も麻美子でおめでとうを伝えたり、ユーフォニアムと久美子と麻美子の三角関係ですよ。間に挟まれたユーフォニアムはたまったもんじゃないですね。久美子はユーフォニアムのことが大好きですけどユーフォニアムを教えてもらった麻美子のことが忘れられないし、麻美子はユーフォニアムと別れたはずなのに未練たらしく久美子をみてはユーフォニアムを思い出しちゃうし。
そこに引力関係の麗奈とか秀一とか同じユーフォニアム共同体のあすか先輩とか、もういろんなひとと痴情の縺れが発生する。それもこれも楽器との運命の出会いのせいで、ユーフォニアムを吹いてるから吹奏楽部ってところに入部したからこそ出来てしまった関係で、人間関係だけじゃなく上手くなりたかったり色々な葛藤があったりして。おそらく楽器はファムファタルで、だからこのカットは非常に良いわけです。久美子はユーフォニアムに惚れてるんです。これがなくちゃ始まらない。そのあとの麗奈の関係も始まらない。

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チューバくんが指揮をしてるのもとてもいいです。楽器は自分で声を出せないし声を出してもらう側だけど、限りなく導いてくれて、ちょっとオーダーミスっちゃったりしちゃうドジな面もあるけど(人間がそれをミスらないよう技術で補わなければいけない、つまり上達する向上心とか、楽しむ気持ちとか)、愛おしい存在。かわいい。




2.フリップフラッパーズ OP「Serendipity
歌:ZAQ/作詞・作曲:ZAQ/編曲:R・O・N
絵コンテ・演出:押山清高/作画監督:小島崇史


何と言ってもパピカとココナ。
Aメロで、どちらもどこか憂鬱そうな雰囲気から始まり(曇り)、

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Bメロに入り雨降る夜、ココナが(おそらく)窓の外を見つめ、

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パピカは土管のなかで一人うずくまり、

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ココナは二人分の傘(黒と白)を持って駆ける。

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もうここでも圧倒的な百合を見せられてるのに、そのあと、サビで雨が上がり日差しが差し込む中、パピカが顔を上げるんですね。で、一人きりで寂しかったとか憂の感情が一切なく、ココナきた、ココナが来るって信じてた、 と言わんばかりの嬉しそうな口角の上げ具合。ココナも、心配かけさせないでとか切羽詰まった表情じゃなくて、ああやっぱりここにいたのね、と息を切らしながら確信めいた笑顔。

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ここの歌詞は聞き間違いがなければ「遠くでもずっとそばにいる、繋ぐ心ずっと離さない」とあります。素晴らしい。
(OP中の天気を抽出するとAメロ曇り→Bメロ雨→サビ晴れ)
で、極め付けは、最後に、2本分の傘をココナが持っていったにもかかわらず、違う色付き傘で、晴れた日に相合傘をしているんです。

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と言っても、OP中でこの色付き傘は出てきてて、Bメロの雨のなか土管の中央部分で差してあって(誰がさしてるんだろう、うずくまって待ってるし位置的にもパピカじゃないとは思うんですが)、

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サビ前で雨空に舞い上がったり、

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最後にパピカとココナが草原を駆けていったあとにふたたび晴れた空に舞い上がったり。

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ココナが持ってる2人分の傘は黒白だし、じゃあこれはもう相合傘用の傘ってことかな。話数が進んだら何かまた新しく真相がわかるかもしれませんが。
パピカがココナに身体を預けながら、ココナも目を閉じてパピカに寄り添う。

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天気と感情を連結させて雨を負の感情に見立てる、ようなことはよく演出でもみかけますが。傘はその面積から距離感やパーソナルスペースが物理的に生まれるもので、しかも晴れの日に、ココナが持ってきた傘じゃないまた別の傘でさしてて。晴れだからといって天気の全てを肯定せず、雨傘をさしてることにより日光すら2人の関係を邪魔できない。傘でできた影のなかで2人は幸せそうに微笑みながら肩を寄せる。こんな信頼と思いやりと優しさで溢れた関係性をたった1分30秒でみせられて泣かないわけがない。私の中のベスト百合シチュエーションに「晴れの日に雨傘で相合傘をする」が追加されました。



どちらもZAQさん作詞作曲のものですが、ほんとうに偶然です。
2016年秋全体をみると、他には灼熱の卓球娘OPのBメロの"卓球感"や、魔法少女なんてもういいですから。2期OPの江畑諒真さんなど、気に入っているものは色々あるのですが、個人的百合な視点からみて熱かったものを。今期は心なしかいつもよりたくさん百合があるように感じられて嬉しいです。

ふらいんぐうぃっち:5話 感想/繋がる日常

脚本:赤尾でこ/絵コンテ、演出:佐山聖子/作画監督:矢向宏志、浅川翔、上田みねこ、佐野はるか




ユウ「こういう"繋がる"話にめっぽう弱い。アイカツ15話、ラブライブ2期8話なんかも繋がる話だったなと思い出す」

エミリ「終始泣きっぱなしだったわね」



◻︎時を繋ぐ日常

ユウ「ふらいんぐうぃっちの魅力は、何気ない日常を何気なく描写することだと思うんだ」

エミリ「わざとらしくない、いい意味で素朴なアニメよね。ゆったりした音楽だとか背景の美しさとか会話の間とか圭くんのテンションとか千夏ちゃんのリアクションとか。言ってたらキリがない」

ユウ「だから、最初の食卓のシーンでお父さんが茜におかずをとられて食べられなかったり、そのあとお昼に一人だけ特別におかずを用意されていたり(食後にでもお母さんに相談したのかなと想像できる)……という描写がある。これが会話のなかでなく画面で静かになされてるのでとっても癒される。それぞれの人物の時間がそれぞれに流れていくんだ。
で、朝食後、各々好きな時間を過ごす。千夏とチトの話はまず置いておいて、ここでいいなと思ったのは、真琴の日記だ」

エミリ「ついつい見ちゃうわよね、片付けてる時なんかにふと見つけちゃうと。過去にタイムスリップしたような気持ちになって……」

ユウ「そう、そんな気持ちになるのが日記の魅力。日記を書くことで何気ない日常がより明確になっていく。漬物のビンをみつけて表記された日付から日記のページを捲り、正体を探す……そしてそれを食卓に並べる。10/3の真琴の日常が確実に生きた瞬間だ。何気ないんだけど、確かにそこにあるって実感できる」

エミリ「もし日記を書いてなかったら……ビンのカバーを開けて、そういえばピクルス漬けてたなあくらいのことは覚えてただろうでしょうけど、明確な気持ちなんかはわからなかったかもしれないのよね」

ユウ「あと、なおと真琴が桜の花びらのおばあさんと出会って会話するシーン。魔女との昔話をするおばあさんと、コイバナ(?)に食いつくなお。その様子をみた真琴が好きな人がいるんですか? と聞くんだけど、特にいないと答える。もし、なおに気になる人ができたら、この話を思い出すのかな……なんて思ったり」

エミリ「タイムカプセルをみつけたシーンなんかも。まあタイムカプセルってもの自体が時を繋いでるけど。あそこで千夏ちゃんがみかけた男の子3人が何をしてたか判明するわけだけど、なおさん&真琴、千夏ちゃんでは認識の差がある。つまり、『誰が埋めたかはわからないけどタイムカプセルがあの場所に埋めてある』と『男の子3人があの場所で何かしていた』」

ユウ「あの場所を通る時、それぞれ別のことを考えるんだろうなあ」



◻︎魔女と人の繋がる日常

エミリ「真琴は魔女なのよね。そもそもそこからもう日常じゃなく異常なことなのよね。でもみんな淡々と日常をこなしてる。真琴は圭くんやなおが素直に接しているから日常を過ごせるというわけもあるけど、それでも、千夏ちゃんはまだ異常なのよね、魔女がいるイレギュラーが」

ユウ「その探究心と好奇心が既に日常になってるんだよね、いい意味で。探ってくのは日常だけど、やっぱり相手は魔女や使い魔だから、千夏の身に起きることはイレギュラーがいっぱいなんだ。こういう距離感は、ある程度話数を重ねないと発揮できないし、程よい日常と異常のバランスを爆発させているなと感じてる。でもバランスはすぐ倒れる可能性があるから、日常が異常になったりするし(落とし穴が使い魔の仕業だと思う)、逆もまたあり得る。これもまた日常なんだよね」

エミリ「魔女がいなければあり得なかった日常なのよね。おばあさんとおまじない好きの魔女との昔話も、それがきっかけで出会ったというおばあさんのおじいさんとのエピソードも」

ユウ「魔女や使い魔の存在が人間と同化し日常が生まれてるわけじゃなく、それぞれがそれぞれに生きてて、それが日常となってる、ただそれだけなんだな」



◻︎チトで繋がる日常

ユウ「チトは、散歩してチトナビをして終わり、じゃなくて、観測者のような存在になってるのがまたね」

エミリ「例えば、千夏ちゃんがおまじないと共に桜の花びらを受け取ったこと(あと水道に流されてまあいっかとわりきること)となおさんと真琴がおばあさんから聞いたおまじないが一緒でそれが同一人物なこと、前述したタイムカプセルと埋めた存在の関係。チトだけにしか知らないこと。もしかしたら将来それぞれのエピソードがふとした拍子に繋がる時が来るかもしれないけど、その日に起きた日常はきっとこれからも各各今日だけの日常として語られてくこと」

ユウ「決して全部が全部、直接線で繋がってるわけじゃなくて間接的に繋がってるのが日常感を増してると思う。
でもそんなチトでもわからないことが一つある。千夏が、チトが魔法を使って落とし穴にはめさせたと思っていること。秘密って言ってるから、これは千夏だけの秘密なのだ」

エミリ「かわいい」



◻︎その他

ユウ「圭の声優さん(菅原慎介さん)ののんびりした感じがまたいい味出してる。千夏さんの声優さん(鈴木絵理さん)の演技もリアクションがいちいちかわいいし、なおはみかしー(三上枝織さん)って最初にきいたときびっくりしたんだけどよい。真琴(篠田みなみさん)はピッタリだ」

エミリ「おばあさんに魔女?って聞かれたシーンでの戸惑い具合はとってもかわいかったわ。あとおばあさんCV久保田民絵さん」

ユウ「一発でわかった。千夏も真琴もなおもみんなかわいいけど、今回はおばあさんがベストオブかわいい」