寝床

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バンドリ覚書

日菜が天才っていうのは、姉である紗夜の不器用さと相対的に比べた結果で、日菜自身の個性をあらわす単語ではないな、と思う。つまり日菜は天才ではないというのが私の考え。日菜は才能はあるし器用でもある。でも、天才に必要不可欠なものが抜けている。それは持続力と執着心。だから、紗夜と日菜、将来的にどっちが結果を残せるかと考えたら、凡人でもコツコツと結果を残して自分を振り返っていける紗夜の方だろうなと思う。日菜は自分のわだちを自分で作れないし振り返ろうともしない。だからいざ自分がつまずいた時どこで自分が失敗したかわからない。少なくとも今の段階だとそんな見解。いつの間にかアイドルをやめてしまって無職になり、紗夜に養われる日菜の図が容易に想像できる。


バンドリは作りが丁寧なので(若宮イヴは別)、どのキャラも魅力的だけど、氷川姉妹にこんなにはまってしまうのは、なんというか、この二人は色々と生きづらいだろうなと常々思ってしまうから。いや突き詰めれば生きづらくない人間なんていないのだろうなって思ってしまうのが私の極端なところだけど、氷川姉妹の受容のされ方をみていると、特にそう感じる。日菜は天才ではない。と繰り返し言うのも、私が学生時代、一番最初のテストで一位をとって、それからも一位を取り続けてたら天才って言われ続けてた経験も大きいだろうなと思う。コースが違う場所に行けば他にできる子はいたし、テスト範囲をきちんとやっていればできた問題ばかりだったので、なんで私は天才って呼ばれてるんだ、わけわからん、と唸っていた記憶が蘇ってきた。懐かしい。ここで言われている天才っていうのは雑なくくりの褒め言葉みたいなものだったというのが私の所感だった。こういうのって日本特有の文化みたいなものでもあるのだろうか。文脈を辿らないとある言葉の使われ方はわからないっていうのはどこでも共通だとは思うけど、言葉が過度に内輪に籠もりがちになってしまうみたいな。




パスパレのCDはまだ曲しか聴いてないけど、もっと大和麻弥と丸山彩の繋がりが好きになった。パスパレボリューションずなんて、モロだよね。歌詞の「キミ」がファンじゃないのは、歌詞の流れからも題名からも予測できるけど(ファンとの絡みはしゅわりんの役目)、基本的にパスパレは彩ちゃん中心曲なのでじゃあこの「私」に励まされてる「キミ」は誰?ってなると、自分なんかと決めつけないでアイドルになれる大切な気持ちをあゆみさんからもらって、それを自分がアイドルになってみんなに勇気をあげようとしてアイドルになろうともがいている丸山彩をみている大和麻弥だよね、という。ドラムの薄暗い一番後ろから頼もしくて輝いている丸山彩の背中を見つめてドラムを叩き続け憧れる大和麻弥革命だ。あやまやがみたい。

パスパレイベのカードで、日菜が憧れられる存在になれたらな、と言ってたけど、日菜の心持ちがどうあれ、彼女は憧れられるような目を向けられたのかな、と思ってみると、首をかしげる。天才という作中の扱い、または受容のされ方をみると。(モブ以外で、尊敬するモブはいくらでも生み出そうとすれば生み出せるから)誰が日菜のことを憧れるだろうな、って考えた時に、思い浮かんだのが若宮イヴだった。日菜とイヴの絡みは、普段は自由奔放で奇天烈な日菜が、年下のイヴを見守るような立ち位置になる。イヴはいつもブシドー言ってるからなんでもやりたがって、面倒見のいい日菜は器用に一緒にやってのける。……と色々と考えてみたけど、やっぱりイヴのキャラクターが邪魔して、どうもうまくいかない。というのも、フィンランド人と日本人のハーフ、ブシドー、元モデルという設定たちが、人生設定をうまく描写することに定評のあるバンドリの中で活かされていなさすぎるように思う。ざっと調べていたけど、フィンランドって花見できるんじゃないかな、とか。さきに若宮イヴだけ例外って言ったのは、若宮イヴにはどこか日本に憧れるハーフキャラのテンプレート的なものが散見されて、要素がうまく活かされていないから。モデル時代や学校での過ごし方に関しても、もう少し奥行きがほしい。ぱっとハーフキャラって言われて思い浮かべられるのはラブライブ絢瀬絵里だけど、よく考えたらクォーターだった。G's本誌展開、つまり原案の公野櫻子先生が書いたほうの絵里の話に限るけど、ロシアの話がバンバン出ていたので、イヴちゃんにもこう、せっかく名前がイヴなんだし、名前の日の話とか、してほしい。クリスマスだからこれからか。