寝床

アニメや漫画

雑記

 AbemaTVで放送している、声優アニ雑談のカラオケ回で、松井恵理子の歌に興味をもち、またデレマスの神谷奈緒の歌も好きだったことから、松井恵理子のアルバム「にじようび。」を聴いた。アルバムの最後に収録されている『声』のサビで、自然と涙がこぼれた。咄嗟のことで混乱したが、振り返ってみると、私はこういう、現実に追い詰められ、切実さがこみ上げてくる、もう逃げ場所がなくなった結果がけっぷちで叫ぶように祈るような歌い方をしている歌がもともと好きだのだな、と思う。最近のアニソンだと藍井エイルとか、バンドリのポピパとか。
 かといって、歌声が好きだから泣いた、という単純なことでは、ないように感じている。「にじようび。」のアルバムは、一番最初の『ワスレモノ』から、強い自己卑下を繰り返す一人称像が垣間見える。おそらく私はその姿を(勝手にだけれど)、松井恵理子が各所各媒体で言われる言葉たちから松井恵理子自身と重ね合わせて、涙を流したのだろうと思う。要するに、アルバムから作成された松井恵理子の物語に泣いた。
 思えば、ポピパの曲に感動する時も、その物語が曲から浸透してきてくる瞬間が、身体中に伴うのだった。ポピパの曲は、ほぼすべての曲を、小説版原作の中村航が作詞しているので、ポピパの物語をもっと深く知りたいという人はぜひバンドリ小説版を読んでほしい。もちろん、アニメをみて、きらきら星の精神を学ぶのもよい。アプリを遊んで、壮大な百合と姉妹への執着に溢れた素晴らしい世界に触れるのもよい。
 藍井エイルに関しては現時点では本人のことは詳しくない。元々、小説でも漫画でもそうだけれど、作品を出した作者のことにあまり関心が湧かない。詳しく言えば、気に入った作品をつくった人としての作者、作品形成にあたってのルーツとか、方法は見るけれど、その他の作者の一面は、みたところで作品とは独立しているものだ、と捉えている。
 しかし、今回私が松井恵理子のアルバムで泣いた理由は、一転、作者と作品を強く結びつけることをしているのではないか。作品に自己投影し共感していたならまだしも。私は最初から物語を求めていたのだろうか。

 

 物語といえば、アイドルは物語性があるから魅力的だと、各所各媒体で散々言われていることだとは思うけれど、しかし、今のアイドル市場をみると、どこもクオリティがインフレしている。二次元ならアイドルマスター、三次元なら秋元康がわかりやすいと思う。八月頭、WUGのライブに参加したが、その時も完成度にびっくりした。と同時に、ここに物語の介入する余地があるのか? と思ってしまうのもまた事実だ。クオリティの高さが前提となり、露出の機会もそちらに割かれていくので、低いものは、物語を見られる機会が与えられない。だったら「低い場所から始めて物語を魅せる」という手段があると思ったが、それもいつまで続けられるのだろうか、という不安が残るのも事実だし、何よりこのクオリティインフレの中でそれをやり続けるには、演者のメンタル力とそれなりに健康を前提とした体力が前提とされるのだろう。芸能界に入るということは、やっていくとは、そういうことだと言われればそうかもしれないが、しかし、そのことが誰かの諦観を生むというのであれば、アイドルが夢を生み出すということこそ幻想におわってしまうのではないかとも思う。
 そういう意味で、アニメのWUGは、仙台が舞台であることとは別に、「アイドルは物語である」と丹下社長が言ったのは、本当に時代の流れに沿った言葉だったのだと思っている。声優さんたちのWUGとの繋がりも含め、アイドルファンの心をつかむ、よくできた流れだったのだろう。だから、秋から放送するWUG新章で、どのようなことを書いていくのだろうかと私は予想がつかめないでいる。今、あの作品で「アイドルは物語である」と言っても、説得力がないだろうと思う。声優さんたちのほうのWUGの、完成度の高いパフォーマンスを見てしまった私には。新しく加入することが決まった、RGRの動き次第にもなるのだろうか。
 あと余談だけど、アイドル事変のアニメも今じゃないとできないアニメだっただろうと思う。結局、あのアニメの中で、アイドル議員とは何か、私にはさっぱりわからなかった。あの手のアニメには、あらゆるアイドルの成功、あるいはアイドル個人の成功の歴史で築かれた、一種のアイドル信仰が働いているのだろう。「アイドルみたいに夢に憧れればなんでもできる人間になれる!」というメッセージ性。それが独り歩きしてできたとんちんかんなアニメだったという感想に尽きる。議員活動?をしていたかと思えば、途中で正気になって?真面目にアイドルのレッスンしだすので、アイドル事変のアイドルたち自身がアイドル信仰にかかっているのだと思う。今、この時代に見る価値があると思っているので、無理にとは言わないけれど、暇を持て余している人は見てほしい。これもどうでもいい話だが、バンドリアプリのポピパストーリーはアイドル事変っぽい。

 

 書いていて気付いたが、最近そういえば、ツイッターやラジオなどで舞台裏のことを赤裸々に語る人が増えたと思う。アイドルは清楚とか、声優がアイドル化してきた、というものから一転して暴露話があったりして、それが新鮮なうちはまだよかったけれど、旬が過ぎるのは早いもので、コンテンツを多く見ている人にはもうそれが新しいと言われるのは首をかしげるのかもしれないという懸念がある。しかし、これらが繰り返し行われることで、作者と作品との間に、視聴者は物語を見ることを強制されるように視線を固定されているのかもしれない。と思うと、確かに、感動を生むにあたっては、今、これが最も手っ取り早い手法になっているのかもしれない。ただ、もっと改善される余地があるのではないかという感想を抱いてしまうのも事実だ。

 

 閑話休題、この夏、ライブを見に行った。
 7/29、ロゼリア/有明コロシアム
 8/6、WUG4thツアー/仙台サンプラザホール。
 8/12・13、デレマス5th/SSA(LV)。
 8/21、バンドリポピパ4th/日本武道館(LV)。
 ロゼリアで初めてアニメのライブに行ったし、夏にこんなに予定を入れたのも初めてだし、元々身体が貧弱なので体力も限界だったし、過去にこんな無茶なスケジュールを組んだ軽率な過去の自分を恨んだりもしたが、そうでもしないと動かないだろう。
 繰り返しになってしまうが、クオリティのインフレをデレマスやWUGで強く実感し、バンドリでは低い場所からの物語であった。
 どれも楽しい思い出だったが、一方私はライブ鑑賞に向いていないとも思う。体力面もそうだが、ライブで盛り上がる、という連帯感が、ファンや演者と一致しない。サイリウムを振ったり、身体を動かしてリズムをとりながら、自分の動きを滑稽に笑っているような感覚が、不意に訪れてくる。そういう動きをしている自分が恥ずかしいから、というわけではなく、演者、観客、すべてを含めた会場が、一つの演出された舞台装置にみえることがある。懸命に没入するように私は観客を演じているのではないかと思うこともある。それを特に強く体験したのがデレマスのライブだった。私は速水奏が好きだが、「一人の速水奏が好きなファン・担当」として、懸命に演じていた。もちろん、私はデレマスの速水奏が偽りなく好きだ。全て演じていたというわけではないだろう。興奮した部分もあった。しかし、応援していたとか、盛り上がったとか、そういう起伏とは、どこか違ったような違和感を覚えた。このままライブに参加し続けるのは疲れるだろう、という判断だ。
 そういえば、機会があればAqours2ndツアーにも行こうかなと思ったけれど、ラブライブではもうたくさんレポートが上がるだろうと踏んでいるし、もっと詳しい人に任せたほうがいいと思うので見送った。
 

 

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