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バンドリ雑記3

 バンドリガルパで描かれる世界設定は非常に狭い。それがバンドリガルパのストーリーにおける魅力であり、長所でもあり、また私が常に読むうえで、なぜかバンドリに対して苦しみを覚える所以なのだろう。その魅力と、長所と、私の個人的な苦しみを述べたい。

 きっかけは、パスパレ2章を読んだことだ。パスパレ関連の話は、芸能界にまつわる話だと、常に思い続けていた。というのも、パスパレの関連するイベント(アプリ内の思い出のストーリーから、パスパレの項目を選んだ際に出てくるもの。2018年6月28日現時点では5つ)は、全てにおいて、アイドル活動の範囲内でストーリーが進められる。『あゆみ続けた道、彩られる未来』『つぼみ開く時』『パスパレ探検隊~無人島を征くアイドル~』『What a Wanderful Girl!』『譲れない想い、燃えるブシドー』の全てが、パスパレというアイドルユニットが、所属する事務所を通して、イベントに向けてレッスンをしたり、実際にイベント活動をする際の様子を描写する。芸能界という、選ばれた人物たちの様子を描いていくのだなと、そう思っていた。
 だが、パスパレ2章を読むと、どうも芸能界の話と言うには、本筋がずれている。勿論、メンバーが身を置いているのは間違いなく芸能界であり、ストーリーの舞台も芸能界であり、ストーリーのきっかけになったのも芸能界である。
5話で、事務所の方針により、個人の活躍が増えて、知名度を上げたいのならば、ソロ活動を中心になる、というのは、至極まっとうな決断である。自らが売れたいのならば、名を馳せたいのならば、野心があるのならば、そちらを決断するのが真っ当だろう。しかし、その話がメンバーに下された時、メンバーは困惑する。もちろん、急な話であるから、心の準備が伴わなかった、という解釈もあるが、しかし章全体を通して、また過去のイベントを通して、各キャラの心情を、推測することは可能だ。
 真っ先に、(パスパレの活動が)おやすみはいやだと声を上げたイヴは、外国からやってきて、モデル時代に一人きりだったこともあり、孤独を嫌っているから、パスパレという居場所がなくなることを恐れた。
 千聖は、個人で映画の仕事が舞い込んでくるが、即決できていない。1章時点では即決できたであろう彼女が、迷っている。パスパレ(とパスパレに所属している彩)という夢を与えてもらった場所、自分を変えてもらった場所を、捨てきれていない。だから、日菜に「パスパレがやりたいって感じじゃないじゃん」と言う時、否定しようとする。
 日菜に関しては、テキストだけみると、イヴと被る部分がある。4話で麻弥と一緒にレッスンへ行くときに「一人だと寂しいし」と発言する。しかし、環境においては、イヴのように日菜は周囲から孤立していたという描写は、特にない。容易に推測できることではあるが。例えば、ロゼリア1章で、テストまた1位か、つまんないの、とこぼしていたように、(自分と能力が釣り合わない=つまらない)周囲がいなくて寂しい、という風にも解釈できる。「あたしパスパレが好きだったんだけどなー」という5話での発言は、その寂しさが、失われてしまうことの、恐怖と共に、イヴとの相違点として、メンバー(主に対象は彩だが)に試すような口調で、終わっちゃうよ? と問いかけるのである。一番パスパレがなくなって困り果てるのは、おそらく日菜だろうということに、日菜自身が気が付いていない(ちなみに、私の日菜に関する散見は、以前書いたバンドリ雑記2をみていただきたい)。
 よくわからないのは彩と麻弥である。正確に言うならば、彩は選択肢が狭く、麻弥は描写がない。
 まず、彩について。パスパレを抜けても、アイドル活動は別に続くのである。しかし彩は7話、イヴとの会話で「スタッフさんの言葉を聞いてから、ずっと考えてる。パスパレがなくなったらどうなるのかなって。けど、想像つかないや」と言う。孤独を嫌うイヴとは、話がかみ合わない。イヴはパスパレがなくなってほしくないから「パスパレがなくなってほしいのですか?」と彩を責める。彩にとっては別になくなってほしいわけではないし、なくなったら損しかないからである。彩は彩で研究生生活が長く、やっと見つけたアイドル活動できる居場所である。Marmaladeがどういう経緯で解散し、引退を表明したのかは定かではないが、彩にとって、あゆみさんの所属していたそのユニットが、彩の中のアイドルの世界だったのだろう。パスパレがなくなってしまったら、自分はアイドルを続けられていけるだろうか? 大きな不安だったに違いない。しかし「想像つかないや」は、よく言えば、彩を彩らしくしている言葉である。
 次に麻弥だが、彼女は11話の独白や日菜への心情吐露まで、状況説明や行動に徹され、彼女自身の意図というのは読みにくい。過去のイベントでも、言語化装置として機能しやすい麻弥。だからこそ、今回の独白は、彼女自身の気持ちを読み汲むうえで重要な要素なのだが、しかし、これはあくまで麻弥自身がアイドル像として悩んでいる、自信を持てていない、そんな独白なので、パスパレが休止するかもしれないという時にどんな心境だったか、というのははっきりとはわからない。しかし「わからないことがわからないようになる」「わからないことっておもしろい」というのが日菜にとってのパスパレである、という時、麻弥は落涙する。ここで推測できるのは、麻弥にとって、そもそもパスパレに所属することが不安であるので(加入した経緯が一人だけ特殊である。アイドルという像からも、麻弥という私から見れば、遠く見えてしまうだろう)、日菜のわからなくてもいてもいい、というのは、母親のゆりかごのようなささやきだったのではないか、ということだ。
 最終的に、パスパレは5人で活動することを選ぶ。それは上述したような、自分たちの意志に基づいている。しかし、その行動を、彼女たちは「努力すれば夢は叶う」という原理に従って遂行していく。それは千聖が夢見た夢であり、5人で活動させてほしいと伝えた結果でもある。
 そして、この「努力すれば夢は叶う」というのは、現実に即した場合、芸能界では決してありえないことである。千聖が1章で提示した「努力で夢がかなうとは限らない」が、圧倒的に正しいのである。

 しかし、そんなことを指摘しても、バンドリガルパでは非生産的である。「努力で夢は叶う」というヒューマンストーリーを、「努力で夢がかなうわけじゃない」芸能界という舞台で、ちぐはぐにやっても成り立たせる、これはひとえに、スタッフ側や時には視聴者もそうであろうファンを無能厄介として描き、勧善懲悪のような世界があるからこそである。描写の取捨選択が非常に上手いのだ。意図的に視点を狭め、視聴者をキャラクターの傍に潜り寄らせ、キャラクターのみている世界を体感させるのだ。これが、バンドリガルパの魅力であり、長所なのだろう。

 (芸能界という世界が「努力で夢は叶う」という原理に基づくようにする、という二次元アイドル作品は、多くみられる。わかりやすいのはアイカツである。アイカツの原理は、キャラクターはもちろん、スタッフ側やそのほかの登場人物のモラルも一貫して「努力で夢は叶う」という夢を魅せる美しい構成となっている)
 個人的な苦しみは、つらつらとパスパレ2章のキャラ分析を試みていたように、私はおそらく、想定された視点からバンドリガルパを読んでいない。理由はさまざま挙げられる。長いことバンドリガルパに慣れ親しみ、キャラの行動原理がある程度わかったので視点を変えてみたとか、楽しみ方がそもそも想定されていない趣味だったとか。バンドリ二次創作で、よくキャラの両親や、その背景を考えるが、そういうことは、本来、バンドリガルパという世界観においては、いらないことなのだ。だから、テキストを読んでいると、どうしても私の中で、齟齬が生じるのだ。でも趣味だから続ける。あと楽しいし。