寝床

アニメや漫画

音楽少女 雑記

「例えば応援してるアイドルのことをずっとみている人がいる。当然そのビジョンはアイドル側にはわからない。断絶。逆も然り。でも心に永遠少年がある限り、その人とアイドルとまだみぬ音楽少女の声を聞く誰かのシャイニングピースが埋まる。ON STAGE LIFEを感じてサイリウム振れる。音楽少女はその証明」


「マジ面白いですよ。音楽少女。永遠少年ってOPの「いや少女やろ」ってツッコミにもちゃんと訳があるんです。私たちの心には性別や年齢を問わず、永遠少年が存在するんです」


「はなこは音楽の擬人化なんだけど、音楽って誰かが聞かなきゃ見つけてもらえないわけで、それは音楽少女も同じで、で、もし例えば、音楽がわからない人がいたとして、音楽少女に虜にされる可能性あるかって考えた時、彼女たちがアイドルであるってところが重要になってくると思う。

アイドルは歌う。踊る。トークする。メイク。お芝居。色々なことをやってきた。音楽がわからなくても、もしかしたら、音楽少女というアイドルを通して、音楽で、性別や年齢を超えて、感情を共有できるのかもしれない。音楽少女がアイドルたる所以はそういうことなのかもしれない。

はなこは最後に自分自身をみつける。誰かが誰かをみつけること。この連鎖が循環して、世界はいつまでも広がって行く。音楽少女というアイドルが、もし解散したとしても、その胸に音楽がある限り、きっと音楽少女というアイドルは宿っている。生きてるって音楽少女なんだよな」


「お願いマーガレット夢のロシアンルーレット、最初めちゃくちゃ笑ったんだけど、花占いしてるのにロシアンルーレットっておかしい。好き嫌いの二択なのに。最後の一枚に願う。その願いは自分で簡単に変えられる。好き嫌いの順番でなくてもいい、全備好きでもいい。そうすれば好きが叶うかもしれない。

でも、そんなことしたって、好きは完璧にならない。願いは変えられるから。嫌いにもできちゃうから。その気持ちはらくがきだから。だから、完成させて、完璧にしてみる。それが、お願いマーガレット。って感じ?でも相変わらずえんじ→青ってなに。やっぱ夕方からの変遷でいいかなあ

お願いマーガレット、よく歌詞見たら思ってたよりロマンチックだ。最後にちぎる魔法にかけてみたい、なのか。そこから落書き→覚悟、カンペキナモノ。でもこれ、お願いマーガレットが主語じゃないよね。主語はあくまで、音、だよね。音を奏でれば〜って」


ツイートをブログでまとめるという手法を気に入ったので、この方法を用いようと思う。今回の題材は音楽少女。2018年夏アニメである。


http://ongaku-shoujo.jp/


基本アイドルアニメと女の子が出るアニメが好きで、今期も色々なアニメをみたが、その中でなぜこの作品が私に特に刺さったかというと、

「適度に遊び心がある(バカアニメ)」

「テーマが一貫しており、脚本がそのことに対し真摯(テクニカル)」

「キャラの思考と世界観が矛盾しない(ロジカル)」

「物語的な嘘を、キャラも世界観も、適度についている(フィクション度高し)」

だからである。


1、「適度に遊び心がある」について。見ていただければお分かりの通り。例として3話。急に倒立しないでほしい。6話。急に歌詞を作るとか言わないでほしい。急にナツメ先生、美来に合わせて踊らないでほしい。バカアニメたる所以である。しかし、これらは全て、後述のロジカルさに帰結する行動である。一見奇抜に見えてしまうけど、意味がある行動になっていってしまっているのだ。音楽少女とはそういうアニメである。


2、「テーマが一貫しており、脚本がそのことに対し真摯」について。初めから終わりまで、この作品で描いているのは、山田木はなこの物語である。天才音楽家の娘であり、才能に恵まれ、海外在住、世間知らず、主体性がない、一人っ子である彼女が、そしてアイドルという存在を親の口伝でしか知らなかった彼女が、アイドルをモンスターだと思っていて、愛着は自分で作っているほどで、日本にやってきてはじめてアイドルの正体を知り、音楽少女というアイドルのそばで応援するうち、自分のやりたいことを再発見する。音楽少女のシャイニング・ピースのなかにはなこがいることを、はなこ自身が見いだす。

この筋書きを、各話ごと、各キャラをフォーカスしながら「応援する」形で、あくまで物語の主体はアイドルである音楽少女たちにし、視聴者にみせる。それぞれはなこは、各キャラたちと交流を持つことで、相対的に自分のことを考えていく。


3、「キャラの思考と世界観が矛盾しない」について。キャラが熱血系だとして、世界観が緻密な舞台だとしても、動かしにくいように、それぞれキャラに適した思考と世界観というのは存在する。音楽少女は両方マッチしている。最終話を見てもらえれば一目瞭然である。観客は徹底的に、音楽少女というアイドルを一つの娯楽物として消費しかしていない。フェスという場所において、その傾向は特に強まる。音楽少女だけのために観客はフェスに足を運んでいるわけではないからだ。音楽のために足を運んでるのか、あるバンド目的か、はたまたウェイしたい目的か。理由は様々だ。そんな様々な理由な人々がいる、それを許容する、そんな世界である。

遡って6話、これは私が一番大好きな話数なのだが、人は性別や年齢を超えて、感情を共有することができる、とナツメ先生は言っている。最終話では、全くそれは達成されていない。はなこの行為をおもしろがった観客が好奇心で集まっているから、結果的に動員数が増えた、たったそれだけだ。観客は音楽少女というアイドルに心を動かされたわけではない。音楽少女というアイドルという娯楽を消費していた。

シビアな描写は、はなこのどこか残酷で、冷徹で、どこまでも論理的になれてしまって、正論をかましていってしまって、アイドル界隈に慣れてないそんな思考と、マッチする。2話の「じゃあみんなもテレビに出ればいいじゃん」と、簡単に言ってしまう人であるのだ。それが難しいことをわかっているから、ほかのキャラは黙って、はなこを哀れみの目で見つめるし、黙ってられない羽織は、反論する。


4、「物語的な嘘を、キャラも世界観も、適度についている」について。これははなこの両親や、池橋Pが当てはまるだろう。あんなスムーズに会話が進むのは、御都合主義としか言えないだろう。しかし、これらは、物語内にある説得力が積み重なっていけば、物語内では、どんどん真になっていく。はなこの両親は天才音楽家であり、音楽少女のプロデュースを担当している池橋Pの知り合いであった。はなこの両親ははなこの主体性のなさや迷子になりやすいことを諸々気にかけていたらしいことを、1、2話では気づかせてくれる。そしてはなこにアイドルという存在を言葉で語った母親は、はなこに、音痴であったはなこに、音楽が寄り添ってくれる、と語る。父親も、母親の一押しにより、自分たちの愛する音楽で彼女が前へ進めるのならば、と応援する。池橋Pは情熱を握りしめてガチコンを連発する。

年端もいかない少女が急にはちょっととか、そもそもアイドルでないのにとか、そういう疑問は不要だ。はなこには音楽が寄り添ってくれる。音楽少女というアイドルが寄り添ってくれる。それだけで、この物語的には、十分だった。現実ではこれは嘘だが、物語的には真だ。はなこはあの中で確実に生き、最終話で、音楽少女のシャイニングピースとなっている。



一通り音楽少女のアニメを語ったところで、これからは好き勝手、音楽少女の気に入っている部分、気になる部分ついて語ろうと思う。



・永遠少年

コンテがよい。観客視点ではない、はなこ視点。これははなこの物語であるから。同時に人物紹介も兼ねる。

サビ前のはなこが走るシーンが気に入っている。ハコが大きくなれば大きくなるほど頑張らなくちゃいけない。何に対して頑張ればいいかわからなくなる時もあるかもしれないけど、とにかく頑張っていけば音楽少女は大きくなるかもしれない。はなこは自分自身さえ知らなかった人だ。やっと自分の道を見つけた人だ。頑張らないわけがないのだ。そして、音楽少女というアイドルは飛ぶ。観客に向かって。はなこは見る。その後ろ姿を。

いつか立ちたいと。あの場所に。無自覚に、そう、思っていたのだろうか。最終話をみると、そう思ってしまう自分がいる。

「マジ面白いですよ。音楽少女。永遠少年ってOPの「いや少女やろ」ってツッコミにもちゃんと訳があるんです。私たちの心には性別や年齢を問わず、永遠少年が存在するんです」というツイートだが、永遠少年とは、未来への原始的な原動力だと私は解釈している。6話参照。

例えば、同じ旅行に行った人が数人いるとする。急遽、事情で旅行に行けなかった人が一名出てしまった。その一人は、仲間外れになってしまうだろうか?旅行に行けなくて、同じ景色を、旅行を体験できないから?いいえ。例えば言葉、例えば写真、例えば音楽、色々な手段で、感情は共有することはできる。経験だけが、共有の手段ではない。




・山田木はなこは音楽の擬人化である

前提として、音楽とは言葉である。言葉とは論理的なものである。

日陽がギフテッド足り得るのは、音楽が論理的なものであるからだ。文法が成り立ち、学習ができるものであるからだ。だから早熟な子どもが成り立つ(なんの分野のギフテッドであるのかは詳しく言われてなかったけれど、おそらく音楽方面に長けているのだろう。世界は音楽であふれている、という反応で、音符が生まれたのを見る限り)。

はなこのキャラは一貫して、音楽少女というアイドルが好きが出発点で、そこからどう動くか、という点において、音楽である。彼女は音楽少女というアイドルという名の音楽を奏でているのである。しかしはなこはあくまで音楽の擬人化であるので、バグがある。音痴なのだ。で、音痴っていうのは、アイドルの魅力として成り立つ(音痴設定って最後になくなったのだっけ?)。


ところで、どうして音楽少女はアイドルでならなければならなかったのだろう。アイドルが歌わなければならない根源が、問われているような気がする。ここで一つ思考実験。「音楽が聞こえない人に音楽少女ぼ歌を届けるためにはどうすればよいのか」。音楽だけでは不可能だ。その人は音楽が聞こえない、つまり、音のない世界に生きている。

しかしアイドルならば。アニメで様々描写されているように、アイドルは歌う。踊る。トークする。メイク。お芝居。色々なことをやってきた。音楽少女というアイドルを通して、音楽で、性別や年齢を超えて、感情を共有できるのかもしれない。音楽少女がアイドルたる所以はそういうことなのかもしれない。

10話のような話、誰かが誰かをみつけること。この連鎖が循環して、世界はいつまでも広がって行く。将来、音楽少女というアイドルが、もし解散したとしても、聴いていた胸に音楽がある限り、きっと音楽少女というアイドルは、ずっと宿る。音楽にはそういう力がある。アイドルにはそういう力がある。



・お願いマーガレット

お願いマーガレット夢のロシアンルーレットと聴いたときは、正直笑ったのだが、花占いしてるのに、ロシアンルーレットっておかしいのだ。そもそも花占いは、好き嫌いの二択だ。

というか、魔法にかけてみたい、と願った時点で、自分で簡単に変えられる。好き嫌いの順番でなくてもいい、全備好きでもいい。そうすれば好きが叶うかもしれない。

でも、そんなことしたって、好きは完璧にならない。願いは変えられるから。好きを嫌いにもできちゃうから。その気持ちはらくがきだから。だから、落書きから覚悟にかえ、完璧にしてみる。それが、お願いマーガレット。って感じかも、と思ったが。

落書き、っていうのは、ひとりのエピローグっていうのにもかかっているのかもしれない。それは独り言。キャラで言えば日陽。それを作曲担当絵里、コミュニケーション担当はなこが、覚悟に変えてカンペキナモノにしようと声をかけて、音楽を、ワンルームから世界に届けよう、と。

この曲、お願いマーガレットが主語じゃない。主語はあくまで、音。音を奏でれば〜。なので、音楽、という見方は、もっともらしい、はず。

3話の着目すると、エンジ色の空青く染まる=日陽と絵里、花占いをしたあとの茎=マーガレット=はなこ、という感じだろうか。イメージカラーと照らし合わせて。しかし、エンジ色の空青く染まるって、どういう状況なんだろうか。普通逆ではなかろうか。音楽少女を通して、まだ知らない景色がみれそうだ。