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アイドルマスターシャイニーカラーズ 覚書

アイドルマスターシャイニーカラーズ(シャニマス)にハマった。そもそもプレイしたきっかけってなんだっけって振り返ると、ツイッターでフォローしているかたが記事を書いているのを見て、興味本位でやり始めたのだと思う。というのも、記憶が曖昧である。さほど自分の中で重要じゃないのだろう。

ハマったきっかけより、現時点におけるシャニマスの魅力を語った方が、私としては有意義に感じられるし、それを語りたい。


シャニマスは「演出」の物語だ。それはゲームで得られるカード、特にSSR入手時の際などは圧巻だ。しかし「演出」という単語は、シャニマスというゲームの機能面だけに留まらないと私は思う。

3つほどあげる。


1、アイドルがユニット単位で組まれているため、アイドルの個性は「提供」された「演出」。

2、楽曲において、現段階ではユニットと全体曲のみで、ソロリリースがないため(あってもユニット曲ソロ)、アイドル自身を知れない「方向性」の「演出」。

3、それらを裏側から見ているプロデューサー(プレイヤー)ですら、アイドルの全てを知ることは出来ないという「ペルソナ」の「演出」。


1に関して。シャニマスのアイドル達は、何かしらのユニットに所属していることが前提となっている。そこからソロ活動をし各々の活躍を見せることもあるという描写もあるが、あるアイドルが「このユニットの中のあのアイドル」という所属は抜けない。これはわかりやすさも「提供」している。というのもシャニマスは現時点でユニットが5つ存在しているが、そこからアイドルを遡ることが可能だからだ。だが同時に、アイドル自身の個性「提供」を捨てることにも繋がる。なぜかというと、ユニットに所属する限り、そのユニットイメージに合わせた個性をアイドルは「演出」するからだ。


2に関して。ユニットごとに、テーマとなるような「方向性」があり、アイドルたちはそれに向かって自らを「演出」する。それは楽曲でもみられる。ユニットの「演出」とアイドルの個性が必ずしも一致するわけでない。ソロリリースが今のところないのは、アイドルソングのキャラソン化を防いでいる。


3に関して。1、2は、どちらかといえば、アイドルを見るファン視点での分析と言って良いだろう。しかしプレイヤーはシャニマスでプロデューサーとなり、アイドルをトップアイドルへと導く。その中でコミュニケーションをかわしていく。プロデューサーはファンが見ることのできない裏側を見ているはずなのだ。だが、実際のところ、プレイしているとわかるのは、アイドルたちのことなんてひとつもわからないということだ。テキストの「演出」も加味されているからだろうが、アイドルが本音を言っているのか、嘘を言ってるのか、虚勢を張ってるのか、わからない。プレイヤーは、与えられた選択肢を分析して、アイドルたちの「ペルソナ」を分析するほかない。それが正しいかどうかはプレイヤーの解釈による、という「演出」が施される。



個人的にソロ曲がないというのは、私にとってありがたい。アイドルがキャラソン、つまり己の内面を歌うことに抵抗があるからだ(ここでふとアイカツを思い出す。一期で全体共有曲→二期以降キャラソン化の変遷をたどっていたように思う)。というのも、アイドルが内面を歌ったところで、それを真実だと信じる根拠は、歌にあるのだろうか?だとすれば、アイドルでなく、曲や詩を作ったクリエイターを信じるべきなのではないか?アイドルは所詮、これが私の内面ですと語られた道化なのではないのか?と疑問がつきまとうからだ。ならばアイドルである必要はない。アーティストでよい。さまざまなメディアが発達している今、アイドルに拘る必要はなにかということだ。


そしてもう一つ、トップアイドルとは何かという疑問が、ふとつきまとう。シャニマスPは、さまざまなアイドルをアイドルとして肯定していく。しかしだとすれば、誰がトップアイドルなのだろう?トップアイドルをどのように定義するのだろう?

私は、トップアイドルという定義自体、もう今ではないんじゃないかと思う。無理やり作るとすれば、知名度や経済など絡むのだろうが、果たして、多様なアイドルが今存在している中、それだけがトップアイドルの条件なのだろうか、と思う。


そして私は今日もWING優勝できない。かなしい。